【『光る君へ』の世界】紫式部ってこんな人! 藤原道長との関係、清少納言とは険悪ムードだった!?
執筆者:GLOW編集部
『源氏物語』を執筆した才女でありながら、実は正確な生没年、本名が不明という紫式部。今回はそんな紫式部の家系から当時の女流文化についてご紹介します!
【女流文化人が競い合った3つのサロン】
『源氏物語』が書かれた時代は女流文学が隆盛していました。一条天皇の時代には、後宮の中宮定子と中宮彰子、斎院の斎王選子を中心とする3つの女性サロンがあり、互いに教養やセンスを競い合っていました。中宮彰子のもとには多くの女房が仕えていました。紫式部は、『紫式部日記』の中で、彼女たち同僚のほか同時代の女流文化人についても記しており、中でも、中宮定子に仕えた清少納言については、かなり辛辣に評しています。
紫式部が属した[中宮彰子]のサロン
中宮彰子(988~1074)は、一条天皇の后で父は藤原道長。後一条(ごいちじょう)・後朱雀(ごすざく)両天皇の母。紫式部のほか、歌人の和泉式部(いずみしきぶ)や赤染衛門(あかぞめえもん)、伊勢の大輔(いせのたいふ)などそうそうたる女流文化人たちが女房として仕えていた。
清少納言が仕えた[中宮定子]のサロン
中宮定子(977~1001)は藤原道長の兄・道隆の娘。第二皇女を出産した翌日に若くして亡くなった。居所とした登華殿では、『枕草子』で知られる清少納言が女房として仕えていた。紫式部は日記の中で清少納言を「漢字もちゃんと書けない中身のない女」と批判した。
中将の君が仕えた[斉王選子]のサロン
斉王選子(選子内親王、964~1035)は村上天皇の第十皇女。12 才のときから57 年間にわたり賀茂神社の斎院を務めた。自身と女房たちの和歌のやりとりを編纂した『大斎院前の御集(だいさいいんさきのぎょしゅう)』で知られる。
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